移住後、ひょんなきっかけでブルーベリー開始
2007年、私たち夫婦は関西から移住してきました。目的は、この2つだけ。
「家からスキー場が見えるところに住みたい。」「自然の中で暮らしたい。」
そして、移住してまもなく、恩師から休耕地を借りて家庭菜園を始めました。
その様子を見ていた恩師から、ブルーベリーを植えてみないかと提案をうけ
200本のブルーベリーを植えたのが2008年。私たち夫婦が29歳の時でした。
そのうち家族が増えて、生活の基盤を固めるために共働きの生活がスタート。
「ブルーベリー200本」とはいえ、当時はまだ収穫できるほどの大きさではなかったので、
週末農業で充分間に合っていたのです。
しかし、定植から数年後には、収穫量が「サラダボール1杯」から「キロ単位」に。
故郷の家族や友人へ、お中元として贈れるまでに成長しました。
共働きで「成っている実を落とすしかない」ジレンマ
当然、この頃には共働きの週末農業で間に合うはずがなく、
「成っている実を落とすしかない」という心苦しさがありました。
幾度となく「農家に転職」が話題にあがりましたが、話は毎回立ち消えに。
なぜなら、雪国のブルーベリー農家は「収穫期たった2か月」。
つまり、他の10か月近くは無収入なのです。
また、良い実をつけてくれるように、手入れの時間も確保せねばなりません。
この「無収入の10か月間を埋める仕事」と「夫婦のキャリアプラン」も考えると共働きを選ぶしかない。
そんな年が、数年続きました。
理由は「やってみたかったから。」
「そんなこと、栽培する前から想像出来たんじゃないの?」と思いますよね。(笑)
はい、確かにおおよそ想像出来ました。想像出来たけれども、やってみたかったんです。(笑)
冒頭で書いたように、そもそも私達は、ブルーベリー栽培がしたくて移住したわけではありません。
ブルーベリーの木すらも見たことがない状態で移住し、
「へ~、ブルーベリーって木なんですね!! すご~い!!」
と言って恩師を苦笑させていたくらいですから
まさかまさか栽培するだなんて、1ミリも考えたことがなかったわけです。
そんな〝ブルーベリーが木であることも知らない若者”の
家庭菜園で奮闘する姿が恩師にどう映ったのか、
ブルーベリーを育ててみないかと提案してもらえたことが単純に嬉しく
「どうやら、自分の知らない自分があるらしい。何か始まる気がする。」と
不安よりもワクワクが勝っていて、自然に始めることになったのです。
自分の想像だけでは見れなかった世界
そんなことで、ブルーベリーを育てることになった私たち。作業は、定植から始まりました。
夫は週5で仕事だったので、私ひとり無心で200個の穴を掘り、スコップでピートモスを入れ、
一輪車で大量の苗を運び、せっせせっせと植えました。
道行く人々は、あの時の私を見て何事かと思ったことでしょう。
その位、当時のパワーはものすごいものでした。
その後は「雪囲い → 雪囲い外し → 剪定 → 収穫 → 剪定 → 雪囲い…」
と、毎年同じことの繰り返し。
一つ一つの作業は地味で単調なので、作業してれば疲れもするし飽きることもあります。
でも、翌日にはまた意欲が戻ってる。「さぁ、今日も行きますか」と、足が畑に向かう。
農家と無縁で育った私たち夫婦に新しい力が芽生えたのか、
それとも元々あった力が引き出されたのかは判りません。
しかし、恩師の提案に乗ったことで見えた世界があって、
それは自分の想像だけでは見えなかった世界でもある。
無計画かもしれないけれど、流れに乗ってみるのも時に面白いなぁと思うのです。
「誰かのほっとする味」になることが嬉しい
そして、ブルーベリー栽培を辞めずに続けている理由がもう一つ。
家族や友人の「今年も楽しみにしてるよ!」「美味しかったよ!」の声があったから。
私の母は家計を担っていたため「母の手料理を家族で囲む」ことが少ない環境で育ちました。
そのせいか、「家族で囲む食卓」や「母の味」への憧れが強いほうです。
だから、我が家のブルーベリーをご家族で味わってもらえることや食卓の話題になること、
「母の味」のようなに「誰かのほっとする味」になることは、私自身の喜びでもあります。
そんな夏を繰り返すたび、育てていることが誇りになり
「美味しい実を作りたい」という気持ちに変わっていきました。
今や私達にとってのブルーベリーは、素敵な世界を見せてくれ、たくさんのご縁を繋げてくれる存在です。
恩師に「ブルーベリーやってみないか」と提案してもらった時、ワクワクしたことは当たっていたのです。
「当たり前のことが、当たり前ではない」2020年
ちょうどそんなことを感じていた2019年、不規則勤務と家庭の両立が出来ず体調を崩しました。
その翌年、世の中はコロナ禍に。
移住生活の励みだった『充電帰省』が出来なくなり、
まだ元気とはいえ「年齢的には高齢者」である両親や、離れて暮らす兄弟・親戚に会えないこと
日常生活すらもどこか気を使いながらという状況に
「当たり前のことが、決して当たり前ではない」ということを思い知らされた年でありました。
そんな中で、これからの我が家を考えたとき「ブルーベリー農家になるタイミングだ」と思ったのです。
だからこそ、季節の巡りと大地の恵みを味わいたい
なぜ、農家になるタイミングだと思ったのか?
当たり前に時計の針はグルグル回り、当たり前に春が来て、当たり前に夏は来ると思っている。
だけども、それは当たり前ではない。
自分が今日元気でいられることも、人間が生きていることも、実が成ることも、ぜんぶ当たり前ではないのですよね。
だからこそ、季節が巡ること、大地の恵みを受けられることに感謝し、お客様と一緒に味わいたい。
お盆やお正月に親戚が集まって近況報告するように、おきにのブルーベリーが「今年はどんな実だろうね」と話題にあがる。
そんな、ブルーベリーになることを願っています。
おきには、みなさまのご縁満を願っています
そして、私達がひょんなきっかけでご縁をもらい、新しい世界を見れているように
皆さんが新しいご縁に恵まれたり、゛自分の知らない自分”に会えたり、新しい世界が開いたりしたら素敵!
おきにのブルーベリーが、皆さまにとって「ご縁満ブルーベリー」でありますように
一粒一粒に願いを込めてお送りします。
こんなわけで、この度、販売専門の農園として「おきに」は2020年新たなスタートをきりました。